1.神の言葉は知識だけでなく,さらに人に命を与えます。
神の思想を伝えるだけでなく,さらに人に神を得させます。
神の心を啓示するだけでなく,さらに命の主をもたらします。
少しの教えを提供するのではなく,さらに主キリストを供給します。
2.わたしたちがもしただその文字を読むだけなら,
神の言葉はただ知識にすぎません。
しかし霊を用いて祈り読みするなら,それは命であり,真と実際です。
あらゆる文字,各種の知識は,ただ死をわたしにもたらします。
霊の中で言葉を受けてはじめて,命を供給し,わたしを生かします。
3.ただ聖書を読むだけで,主に触れることがなければ,
むなしい知識を得るにすぎません。
霊の中でキリストに触れれば,命の味わいを得ます。
ただ文字を読むだけで,主に触れることがなければ,
思いに供給を得させるにすぎません。
祈り読みによってキリストに触れれば,霊は豊かな命を得ます。
4.聖書にある各種の知識は,命に変わらなければなりません。
頭のさまざまな理解は,霊の中で再形成されなければなりません。
聖書に対するあらゆる理解は,命の流通がなければなりません。
文字に対するあらゆる認識は,霊の中に受け入れられなければなりません。
5.知識を得るために聖書に触れるのは,
エバが行なったのを倣うことです。
サタンは知識によって,この女の先祖を誘惑し,罪を犯させました。
命として聖書を受けるなら,来て命の木を食べることになります。
ですから主の言葉を,霊の中で食物として受けなければなりません。