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父親のこころ


祈り

主よ、あなたを賛美します。もし、あなたの豊かなあわれみをわたしたちが詩歌とするなら、わたしたちはそれを永遠に詠い尽くせません。今日、わたしたちがここに存在することさえ、あなたの豊かなあわれみがある故です。なぜなら、あなたのあわれみがなければ、わたしたちは極めてあわれな者だからです。


詩歌:713


本日の聖書箇所:ルカ19:1-27


重点の節:

ルカ19:10 人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである。


質問にお答えください


  1. ダイナミックな救いの結果は何でしょうか?(参照:ルカ19章8節 フットノート1
  2. 忠信についての教えのたとえと、ザアカイの救われたことに何の関係があるでしょうか?(参照:ルカ19章11節 フットノート1
  3. 一ミナをハンカチに包んでしまっておくことは、何を表徴するでしょうか?(参照:ルカ19章20節 フットノート2

命の供給

 ルカによる福音書第15章の愛する父のたとえ話を注意深く読むなら、放蕩息子がまだ父の豊富を浪費していた間、父は彼が帰って来るのを待っていたことを見るでしょう。息子は本心に立ち返り、父の所に行く決心をしたとき、どのように言おうかと準備しました、「お父さん、わたしは天に対してもあなたの前でも、罪を犯しました。もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません.わたしを、あなたが雇っているしもべの一人のようにしてください」(18-19節)。もしあなたがこのたとえ話の中の放蕩息子であったなら、父にどのように言ったでしょうか? おそらくあなたは自分自身に言ったでしょう、「わたしは父の家に帰ろうとしている。しかしどのように言おうか? そこに着いたなら、わたしはどうしたらよいか? わたしはドアをノックし、『お父さん、帰って来ました』と言うべきだろうか? わたしは恥ずかしい愚かなことをした。父が与えたものをすべて放蕩に使い果たしたからだ。わたしは自分が生きてきた道を思い返すことには耐えられない。確かに、わたしの父がわたしを待って、外に出ていることなどあり得ない。おそらく、彼は家の中でくつろぎ、生活を楽しんでいるだろう。あらゆることが彼には立派だが、わたしはそうではない。家に着いたらどうしようか?」。

 その放蕩息子がとても驚いたことに、「彼がまだ遠く離れていたのに、父は彼を見て深くあわれみ、走り寄って彼の首を抱き、愛情を込めて口づけした」(20節)。おそらく放蕩息子は自らに言ったでしょう、「これは夢のようだ! わたしは呼んだり、ドアをノックしたりしなかったが、わたしの父がわたしに走り寄ってきた。今、彼はわたしを抱き、わたしに口づけしている!」。

 父は奴隷たちに言いました、「急いで、あの最上の衣を持って来て彼に着せ、手に指輪をはめ、足にサンダルをはかせなさい。また肥えた子牛を引いて来て、ほふりなさい.食べて楽しもうではないか.わたしのこの息子が死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかったのだから」(22-24節)。

 息子は家に帰ったとき、ぼろをまとったあわれな乞食でした。放蕩息子は父の所に戻って来た後、神の救いの中で神の救いのすべての豊富を享受しました。ですから、彼は非常に幸いな人となることができました。彼は父と共に食べて楽しみました。これは何という喜ばしい絵でしょう!(ルカによる福音書ライフスタディ、メッセージ35)

明日の主題:救い主は大胆にエルサレムへ向かって行かれた