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主の羊を牧養する


重点の節:

使徒20:28  あなたがた自身と群れ全体に気をつけなさい.聖霊は彼らの間に、あなたがたを監督として立てられ、神がご自身の血を通して獲得された神の召会を牧させるのです。


詩歌:616


本日の聖書箇所:使徒20:1-38文字サイズ大



本日のフットノート抜粋


 監督としての長老のおもな責任は、支配することではなく、その群れ、すなわち神の召会を牧すること、すべてを含む優しさをもって彼らを顧みることです。

 神がご自身の血を通して召会を獲得されたことは、召会を愛する神の尊い愛と、神にとっての召会の尊さ、すべてにまさる価値を示しています。ここで使徒は、エペソ人への手紙第5章23節から32節でのように、召会の神聖な命や性質に触れたのではなく、神にとっての宝、彼ご自身の尊い血をもって獲得された宝としての召会の価値に触れたのです。パウロは、監督としての長老たちが、神と同じように召会を尊ぶことを期待しました。(参照:使徒20:28のフットノート4フットノート5


命の供給

 使徒行伝第20章28節のパウロの言葉は非常に重要です:「あなたがた自身と群れ全体に気をつけなさい.聖霊は彼らの間に、あなたがたを監督として立てられ、神がご自身の血を通して獲得された神の召会を牧させるのです」。

 28節でパウロは、群れを牧養する長老について語っています。監督としての長老の主要な責任は群れを支配することではなく、群れを牧養すること、神の召会である群れを、すべてを含む優しさで顧みることです。長老は支配する者としてではなく牧する者として、聖霊によって召会の中に置かれています。神の群れを牧養することは、キリストがなされたように、キリストのからだのための苦難を要求します(コロサイ1:24)。苦難を伴うこのような牧養は、しぼむことのない栄光の冠を褒賞として受けるでしょう(Iペテロ5:4)。

 ペテロの第一の手紙第5章1節から3節によれば、長老は群れの上に権力を振るうのではありません。すなわち、支配される者の上に権力を行使するのではありません(マタイ20:25)。信者たちの間で、キリストのほかに主がいるべきではありません。すべての人はしもべ、奴隷でさえあるべきです(26-27節23:10-11)。召会の長老はリーダーシップ(主権ではない)を取ることができるだけであり、すべての信者はそれを尊び、それに従うべきです(Iテサロニケ5:12Iテモテ5:17)。

 パウロは使徒行伝第20章28節で、神の召会は「ご自身の血を通して」獲得されたと言います。これは召会に対する神の尊い愛と、神の目にある召会の尊さ、超越した価値を示しています。ここで使徒はエペソ人への手紙第5章23節から32節でのように、召会の神聖な命と性質に触れるのではなく、神にとって宝であり、神がご自身の尊い血をもって獲得された宝である召会の価値に触れています。パウロは監督としての長老たちも、神が尊ばれたように召会を尊ぶようにと期待しました。

 聖霊と神ご自身の血は、彼が尊ばれる召会のための神聖な備えです。聖霊は神のパースンを意味し、ご自身の血は神の働きを意味します。神の贖いの働きは召会を獲得しました。今や神のパースン、すべてを含む命を与える霊は(Iコリント15:45)、監督たちを通して召会を顧みられます。(使徒行伝ライフスタディ、メッセージ53)


祈り

主よ、ご自身の血を通して獲得された神の召会は、なんと神の目に尊く、超越した価値を持っていることでしょうか。神は召会を愛され、宝とされています。どうか、わたしたちも神が尊ばれるように召会を尊ぶことができますように。聖霊によって召会の中に置かれた牧する者たちは、神の群れを牧養することで、キリストのからだのための苦難を要求されますが、このような牧養には、しぼむことのない栄光の冠を褒賞として受ける約束が伴っていることを感謝します!


明日の主題:神聖な啓示を完成する