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一人で語るあるいは一人ずつ預言する


祈り

主よ、あなたの御言葉の奥義をわたしたちに解き放ってください。わたしたちに預言とは何であるかを学ばせ、諸召会が建造されるようにしてください。わたしたちは建造を妨げる敵が打ち破られるのを見たいです。あなたが敵を辱め、わたしたちの足の下に踏みにじってくださるようにと求めます!


詩歌:335


本日の聖書箇所:Iコリント16:1-24


重点の節:

Iコリント16:18  彼らはわたしの霊とあなたがたの霊を、新鮮にしてくれたのです。ですから、そのような人たちを重んじなさい。


質問にお答えください


  1. 「贈り物を集めること」はなぜ復活の命を述べた後に置かれたのでしょうか?(参照:Iコリント16:1のフットノート1
  2. 新約の聖徒たちはなぜ「週の初めの日」に集まるのでしょうか?(参照:Iコリント16:2のフットノート1
  3. コリント人への第一の手紙第16章18節によれば、どのように聖徒たちの霊を新鮮にするのでしょうか?(参照:Iコリント16:18のフットノート1フットノート2

命の供給

 主の御名を呼び求めることに加えて、初期の召会の人たちは、主イエスについて多く語りました。彼らは主について互いに、また未信者に語りました。彼らの語りかけは、預言の方法であり、新約で強調されている種類の預言でした。旧約の預言者のようにではなく、キリストを信じる者たちは、預言するのに主の霊が彼らに臨むのを待つ必要はありません。わたしたちが初めて主の御名を呼び求めた時から、生ける霊であるキリストは、わたしたちの霊の中におられました。こういうわけで、パウロは「主に結合される者は主と一つ霊です」(Iコリント6:17)と言うことができました。その霊がわたしたちの霊とミングリングされているとは、何と驚くべきことでしょう! さらに、この霊はわたしたちに服従します(14:32)。わたしたちの霊がわたしたちに服従しますから、その霊がわたしたちに臨むのを待つ必要はもはやありません。むしろ、わたしたちは単純に霊を活用する必要があります。確かに、召会生活の初期のクリスチャンは、彼らの霊を活用して互いに語り合い、また主のために未信者に語りました。

 わたしたちは召会の集会に共に集まる時はいつも、日ごとに主から享受しているものを展覧すべきです。展覧会では、人々は彼らが持っているものや創作したものを見せ、展示します。わたしたちが持っていないものではなく、持っているものだけを展覧することができます。正常なクリスチャンの集会は、わたしたちのクリスチャン生活の展覧であるべきです。それはわたしたちが日ごとの歩みで経験するキリストの豊富の展覧であるべきです。わたしたちが霊を活用して日ごとに主に触れるなら、召会の集会で聖徒たちに分け与えるキリストを持つでしょう。

 わたしには、主がわたしたちとご自身との日ごとの親密な接触と、わたしたちが彼によって生きることを回復しようとしておられるという、全き確信があります。特に、わたしは、青年たちは伝統の影響の下にいることが比較的少ないので、主がこのことで彼らを獲得されることを期待します。みな立ち上がって伝統的キリスト教を拒否しましょう。宗教的な伝統を拒否し、ただ生けるキリストにだけ注意するなら、わたしたちは正しい霊、力と愛と冷静な思いの霊を持つでしょう。そうすれば、集会においてその霊でわき立つでしょう。主を語れば語るほど、ますますわたしたちは話さなければならないでしょう。(コリント人への第一の手紙ライフスタディ、第64編)

明日の主題:この方は、わたしたちのすべての患難の中で、わたしたちを慰めてくださいます