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献身


重点の節:

IIコリント5:14  なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからです.そこでこう判断しました.一人の方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです.

IIコリント5:15 そして、彼がすべてのために死なれたのは、生きている者が、もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで復活させられた方に生きるためです。


詩歌:339


本日の聖書箇所:IIコリント5:9-21文字サイズ大



質問にお答えください


  1. キリストの愛はどのようにわたしたちに押し迫るのでしょうか?(参照:IIコリント5:14のフットノート2
  2. 主に生きるとは何でしょうか?(参照:IIコリント5:15のフットノート2
  3. 人が完全に神に和解させられる二つの段階を説明してください。(参照:IIコリント5:20のフットノート2

命の供給

 コリント人への第二の手紙第5章14節でパウロは言います、「なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからです」。わたしたちが主を喜ばせようと決意するのは、彼の愛がわたしたちに押し迫っているからです。14節のキリストの愛は、彼の死を通してわたしたちのために十字架上で現された愛です。

 押し迫ると訳されたギリシャ語は、文字どおりには、四方から押しつける、身動きのできないように押さえつける、強制的に制限する、限られた範囲に詰め込む、(壁に挟まれた細い道にいるように)一つの路線、目的へと閉じ込めるを意味します。同じギリシャ語が、ルカによる福音書第4章38節第12章50節使徒行伝第18章5節ピリピ人への手紙第1章23節で使われています。使徒たちは、このようにキリストの愛によって彼に生きるように、また彼に喜ばれるように押し迫られていました。

 すでに見てきたように、押し迫られるとは、四方から押しつけられて、一つの目的に向かわせられることを意味します。わたしたちは押し迫られる時、制限されます。それは、狭く、壁で仕切られた路地を歩いて、一定の方向に行くよう強制されるようにです。わたしたちは主を愛しますが、常に進んで彼の道を取ろうとはしません。彼によって壁に仕切られるのでなければ、わたしたちはおそらくキリストと召会から逃げ出したでしょう。しかしキリストの愛はわたしたちに押し迫ります。それはわたしたちを四方から押し迫り、一つの目標に向かわせます。わたしたちには他の道はありません。わたしたちが取るべき道はほかにありません。実は、これはわたしたちの選択ではありません。もしその選択が真にわたしたちのものであったなら、わたしたちはみな、おそらく今日他のどこかにいるでしょう。違います、選択するのはわたしたちにはよりません。それはわたしたちに押し迫るキリストの愛です。

 コリント人への第二の手紙第5章14節と15節によれば、キリストの愛は、キリストに生きるようわたしたちに押し迫ります。15節は言います、「そして、彼がすべてのために死なれたのは、生きている者が、もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで復活させられた方に生きるためです」。

 主に生きようとするなら、わたしたちの外なる人を否まなければなりません。外なる人は肉です。わたしたちはキリストに生きる時、自分の外なる人によって、自分の肉によって生きません。これは、キリストに生きることが、わたしたちの内なる人によって、わたしたちの再生された霊によって生きるのを要求することを意味します。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ、第36編)


祈り

主よ、あなたの贖いの血でわたしたちを覆い、自由を得させてくださったことを感謝します。今やわたしたちは、あわれみと恵みを受け、新しい人として生きています。あなたが十字架上で現された愛と、日々押し迫る愛は、今、わたしたちを献身へともたらします!


明日の主題:未信者と不釣り合いなくびきを負ってはならない