ルカ24:51 イエスは祝福しておられる間に、彼らを離れて天に上げられた。
ルカはこの書で、人・救い主に関する五つの重大な卓越した面をおもに見せ、提示しています。それは、彼の誕生、務め、死、復活、昇天です。
(1)彼の誕生は、本質的に神の霊から、また神の霊をもって成就され、彼を神・人にし、人―救い主とならせました。
(2)彼の務めは、エコノミー的に神の霊によって、また神の霊を通して行なわれ、彼のヨベルの年に神のエコノミーを遂行しました。
(3)彼の死は神・人によってであり、人のために神の贖いを成し遂げ、地上で燃える命の火として、ご自身を人の中へ解き放ちました。
(4)彼の復活は、(a)神が彼と彼の働きを立証されたこと、(b)彼のすべての達成における成功、(c)神の宇宙的な敵に対する彼の勝利です。
(5)彼の昇天は、神が彼を高く上げられたことであり、彼を神のキリストまた万物の主としました。それは、彼がすべてを含む霊と成って、彼の信者たちで構成された彼のからだの上に天から注ぎ出され、地上で彼の天的務めを遂行するためでした(参照:ルカ24章51節 フットノート1)。
ルカによる福音書第22章19節は言います、「それから、イエスはパンを取って感謝をささげ、それをさいて彼らに与え、言われた、『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である.わたしの記念にこれを行ないなさい』」。19節のパンは過越のパンではありません。それは主の食卓のパンです。さらにこの節で主は言われました、「わたしを記念してこれを行なえ」。ですから、それは出エジプト記第12章で起こったことの記念ではありませんでした。主の食卓のパンを食べることは、人・救い主を記念して行なわれます。
わたしたちはこの事実を強調してきました。すなわち、彼は信者たちが彼を記念するこの新しい晩餐を開始して、過越の祭り、すなわち、エホバの救いを選民が記念する旧約の晩餐(出12:14.13:3)に置き換えられました。新約のこの新しい宴席は、パンを食べ杯を飲むことによって、人・救い主を記念するためです。パンは、彼の信者たちのために与えられた彼の体を象徴し(Iコリント11:24)、杯は、彼らの罪のために流された彼の血を象徴します(マタイ26:28)。パンは命(ヨハネ6:35)、神の命、永遠の命を示し、杯は祝福を示します(Iコリント10:16)。それは、信者の分け前としての神ご自身です(詩16:5)。罪人として、彼らの分け前は、神の怒りの杯であるべきでした(啓14:10)。しかし、人・救い主は彼らに代わってその杯を飲まれ(ヨハネ18:11)、彼の救いは彼らの分け前、満ちあふれる(詩23:5)救いの杯となります(116:13)。その内容は、信者たちのすべてを含む祝福としての神です。このパンとこの杯が、人・救い主の晩餐の構成要素です。彼の晩餐は、彼が設立された食卓(Iコリント10:21)、宴席であって、彼の信者たちが彼をそのような宴席として享受して、彼を記念するためです。こうして、信者たちは彼を記念する時、贖い、命を解き放す彼の死を展覧し(11:26)、全宇宙に、彼の豊かな驚くべき救いを証しします。(ルカによる福音書ライフスタディ、メッセージ49)
主よ、あなたの食卓のパンと杯を感謝します。わたしたちは人・救い主であるあなたを記念して共にパンをさきます。また、わたしたちの罪のために流されたあなたの血を象徴する杯から飲みます。パンは命、神の命、永遠の命であり、杯は祝福です。パンと杯はわたしたちの分け前としての神ご自身であることに感謝します!わたしたちはあなたを記念する時、贖い、命を解き放すあなたの死を展覧し、全宇宙に、あなたの豊かな驚くべき救いを証しします。