ヨハネ8:12 こうして、イエスは再び彼らに語って言われた、「わたしは世の光である.わたしに従う者は、決して暗やみの中を歩くことがなく、命の光を持つ」。
ヨハネによる福音書第8章の事例は、罪の問題と関係のあるすべての事柄を啓示します。(1)罪の源―悪魔。(2)罪の三つの主要な項目―姦淫と不品行、殺人、うそ(3、41、44節)。(3)罪の束縛、あるいは奴隷。(4)罪の結末、あるいは結果―死。(5)罪のない方―主。(6)罪定めする資格のある方―主。(7)罪を赦す資格のある方―主。(8)人を罪から解放することができる方―主。主は永遠に存在する神、大いなる「わたしはある」方であり、人の子となって、十字架に上げられ、わたしたちの罪を担われました(参照:ヨハネ8章3節 フットノート1、第二段落)。
創世記第1章に、神の霊があります。神の霊は、出て来て彼の創造物に届く神ご自身です。創世記第1章の時、神の霊の内側には神性があっただけでした。ある日、神は肉体と成って、イエス・キリストという人に成られました。三十三年半の後、キリストは十字架につけられました。十字架の後、彼は復活と昇天を経過され、神の霊は、肉体と成り復活させられたイエス・キリストの霊となられました。今やイエス・キリストの霊は、到達して人類に触れておられます。以前、神の被造物に到達して触れておられたのは神性だけを伴う神の霊でしたが、今やイエス・キリストの霊は、神性、人性、彼のすべてを含む死の効力を伴い、また復活の要素を伴い、出て来て人類に到達されます。キリストが復活させられる前、そのような霊は「まだなかった」のです。
わたしたちは、一杯の純粋な水の中に他の多くの成分が加えられたものを例に使ってもよいでしょう。純粋な水は一つの段階を経過して、ミルクが加えられます。それはもう一つの段階を経過し、そこでは、蜜、茶、塩が加えられます。最終的に、それはすべてを含む飲み物となります。純粋な水はすでにコップの中にありましたが、その純粋な水がこれらすべての段階を経過するまでは、そのようなすばらしい飲み物は「まだなかった」のです。今や、それはすべてを含む飲み物です。同じように、ヨハネによる福音書第7章39節と第14章16節から17節で主イエスによって約束されたその霊は、内容として神性だけを持っている霊ではなく、神性、人性、すべてを含む死、復活、昇天を伴う霊です。今やわたしたちは神の霊だけでなく、イエス・キリストの霊をも持っています。わたしたちに命の水の川々の流れを与えてくださるのは、そのようなすべてを含む霊です。
ときどき、子供に薬が必要な時、賢い母親は飲み物の中に薬をそっと入れます。子供がその飲み物を飲む時、その薬を飲みます。すべてを含む霊の中には薬があります。この薬は今日、聖霊の中にあるキリストの殺す死です。「おお、主イエスよ」と言えば言うほど、ますますすべてを含む霊を受けます。数分の後、あなたはその霊があなたの短気、高慢、我がまま、その他の消極的な事柄を殺しているのを感じるでしょう。この霊がわたしたちの内側で動く時、十字架の殺す効果はわたしたちの中へと浸透します。彼はわたしたちの中にあるあらゆる否定的な要素を殺すでしょう。さらに、このすべてを含む飲み物には、養う成分があります。この霊の中には、わたしたちが必要とするすべてがあります。(ヨハネによる福音書ライフスタディ、第18編)
おお、主イエスよ!あなたは神性、人性、すべてを含む死、復活、昇天を伴う霊です。今、あなたを飲みます。あなたはすべてを含む飲み物となられました。わたしたちは「おお、主イエスよ!」と言えば言うほど、ますますすべてを含む霊を受けます。その霊がわたしたちの短気、高慢、我がまま、その他の消極的な事柄を殺されます。また、すべてを含む飲み物には、養う成分があり、この霊の中で、今日もわたしたちは必要とするすべてを受けます!