Iコリント12:3 こういうわけで、わたしはあなたがたに知らせておきます.神の霊の中で語っている者はだれも、「のろわれよ、イエス」とは言わないし、また聖霊の中でなければ、だれも「主イエス!」と言うことはできません。
コリント人への第一の手紙第6章17節でパウロは言います、「主に結合される者は主と一つ霊です」。この節の結合されるという言葉は、信者たちが主の中へと信じることによる(ヨハネ3:15-16)、主との有機的結合を言っています。この結合は、ぶどうの木とその枝との結合(15:4-5)によって説明されます。それは命(神聖な命)「の」事柄だけでなく、命「の中の」事柄でもあります。復活された主とのそのような結合は、わたしたちの霊の中でのみ可能です。
「一つ霊」という表現は、その霊である主とわたしたちの霊とのミングリングを示しています。わたしたちの霊は、神の霊によって再生されました(3:6)。その霊は今やわたしたちの中におられて(Iコリント6:19)、わたしたちの霊と一つです(ローマ8:16)。これは主の実際化です。主は復活を通して、命を与える霊となられました(Iコリント15:45.IIコリント3:17)。そして今や、わたしたちの霊と共におられます(IIテモテ4:22)。このミングリングされた霊は、ローマ人への手紙第8章4節から6節にあるように、パウロの書簡の中でしばしば述べられています。
わたしたち信者は主に結合されて一つ霊です。これは大きな奥義であり、おそらく聖書に啓示されている最も奥義的な事柄でしょう。そのような奥義を、だれが説明することができるでしょうか? わたしたちが主と一つ霊であることがどのようにして可能であるか、説明することができるでしょうか? わたしたちはそれを説明することはできませんが、確かにそれを経験することができます。しばしばわたしは朝、「主よ、あなたと一つ霊であることを実行するための一日を感謝します」と祈ります。わたしたちのような罪人が、主と一つ霊であることができるとは、何という不思議でしょう! この事柄を考えれば考えるほど、わたしたちはますますそれがいかにすばらしいかを認識します。
すでに見てきたように、コリント人への第一の手紙第6章でパウロは三つの決定的に重要な事柄を扱っています。これらの事柄はとても大きいので、それらを十分に消化するには多くの霊の訓練が必要です。わたしたちの体がキリストの肢体であるとは、わたしたちが主と一つ霊であるとは、わたしたちの体が聖霊の宮であるとは、何と驚くべきことでしょう! これに関するビジョンがとても明らかになりつつあるので、時にはわたしは本当に耐え切れないほどです。わたしたちはみな主のあわれみを求めて主を仰ぎ望み、パウロに示されたビジョンを見ましょう。(コリント人への第一の手紙ライフスタディ、第39編)
主よ、あなたと一つ霊であることを実行するための新しい一日を感謝します!わたしたちはどの様に一つ霊であるかは説明することはできませんが、確かにあなたと一つ霊であることを経験します。「主に結合される者は主と一つ霊です」という御言のゆえに感謝します!わたしたちは主の中へと信じることによって、主との有機的結合にもたらされました。復活された主はその霊として、今やわたしたちの中におられ、わたしたちの霊と一つです。わたしたちは霊の中で、その霊である主とわたしたちの霊とのミングリングを経験します。