コロサイ3:15 そして、キリストの平安に、あなたがたの心を裁定させなさい.このためにあなたがたも、一つからだの中に召されたのです.また感謝にあふれていなさい。
コロサイ人への手紙第3章12節から第4章6節で、パウロは一転してキリストと結合の中の聖徒たちの生活の問題に向きを変えています。第3章12節から15節で彼はキリストの平安によって裁定されることの必要性、また16節と17節では、キリストの言葉がわたしたちの内に豊かに住むことの必要性について語ります。キリストとの結合の中に生きるというのは、わたしたちがわたしたちの生活の中でキリストから離れないことを意味します。
召会生活の中では、いとも容易に互いに怒ったり、互いに不愉快にさせることがあります。集会所のいすの並べ方の事柄で、もしその並べ方が自分の意見に合わないなら、ある兄弟はうれしくないでしょう。しかし怒る時に主に開き、主を愛していることを主に告げるなら、天的なものがわたしたちの中に伝達されるでしょう。その時、自然に、わたしたちは自分を怒らせた人に対して幸いになるでしょう。これは、キリストの平安がわたしたちの心を裁定することの例証です。この裁定する平安は、召会生活の中の一を守ります。
わたしはしばしば、召会生活の中である人に対して不愉快であった時、主と接触し、彼の御名を呼び求めたと証しすることができます。多くの時、わたしはこう言います、「主イエスよ、あなたの臨在、あなたの油塗り、あなたがわたしにとってすべてであることのゆえに、あなたに感謝します」。わたしがこのように主に感謝をささげる時、神聖な伝達が働き始めます。数分後に、わたしは大いに満たされて、喜びで我を忘れます。その時わたしは自然に、自分を不愉快にさせた人が、自分よりも良いと勘定し始めます。その次に彼に会う時、彼に対して何の問題もありません。わたしは主の伝達と裁定を経験するので、主の回復の中のどの聖徒にも問題を持たないのです。
ある地方召会が最初に設立される時、聖徒たちは召会生活のハネムーンを経験するでしょう。しかし結婚生活に永久のハネムーンがないように、召会生活の中にも永久のハネムーンはありません。不和はやがて聖徒たちの間に広がっていきます。この不和は、パウロがエペソ人への手紙第5章で語っているしわをひき起こします。もしわたしたちが内側を裁定するキリストの平安を持たないなら、しわは広がり続けるでしょう。しかし天の伝達がわたしたちに神聖な要素を供給するなら、しわは新陳代謝的に取り除かれるでしょう。そして不和ではなく、キリストの裁定する平安があるでしょう。(コロサイ人への手紙ライフスタディ、第29、63編)
主よ、どうか今日もあなたと結合した生活を実行できますように。すべての人性の美徳の上に神聖な命の実質として愛を着ることができますように。わたしたちは平安であるあなたご自身にわたしたちの心の中を裁定して頂き、からだの肢体に対しては平安の状態にあり、あなたに対してはいつも感謝にあふれていたいです。