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自分自身を訓練して、敬虔へといたりなさい


重点の節:

Iテモテ4:7 しかし、俗悪で、老婆じみた作り話を拒絶し、自分自身を訓練して、敬虔へと至りなさい。

Iテモテ4:8 なぜなら、体の訓練には多少の益はありますが、敬虔はすべての事柄に益があって、現在の命の約束と、来たるべき命の約束を伴っているからです。


詩歌:628


本日の聖書箇所:Iテモテ4:6―5:25文字サイズ大



本日のフットノート抜粋


体操の訓練のように。「敬虔へと至る」は、敬虔を目的としていることを意味します。敬虔とは、キリストがわたしたちから生かし出されて、神の現れとなることです(参照、3:16のノート23)。今日このキリストが、その霊としてわたしたちの霊の中に住んでおられます(IIコリント3:17ローマ8:9―10IIテモテ4:22)。ですから、自分自身を訓練して敬虔へと至るとは、わたしたちの霊を活用して、日常生活の中でキリストを生きることです。(参照:Iテモテ4章7節 フットノート4


祈り

主よ、わたしたちは現在の命の約束と、来たるべき命の約束を伴う敬虔へと至ることを願います。どうか、わたしたちが霊を活用して、日常生活の中でキリストを生きることを訓練して、キリストがわたしたちから生かし出され、神の現れとなる、敬虔へと至ることができますように!


明日の主題:神のエコノミー