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聖書は全て、神が息吹かれたものである


重点の節:

ピレモン16 それも、もはや奴隷としてではなく、奴隷を超えて、愛する兄弟としてです.とりわけ、わたしにとってそうですが、あなたにとっては、肉にあっても主にあっても、なおさらのことです。

ピレモン20 兄弟よ、どうか主にあって、わたしがあなたから益を得ますように、キリストにあって、わたしの心を新鮮にしてください


詩歌:403


本日の聖書箇所:ピレモン1-25文字サイズ大



本日のフットノート抜粋


 ピレモンへのこの短い手紙は、キリストのからだのすべての肢体が、神の永遠の命と神聖な愛において平等であることを示すという、特別な目的を果たしています。まだ野蛮であったパウロの時代に、強力な奴隷制度は、キリストの命によって、信者たちの間で無効にされました。クリスチャンの交わりにおける愛の感覚はとても強く、優勢であったので、堕落した人類の間の邪悪な社会秩序は自然に無視され、奴隷解放のための制度改正の必要はありませんでした。神聖な誕生と神聖な命による生活のゆえに、キリストにあるすべての信者は、召会の中で平等な身分を持っています。(参照:ピレモン16のフットノート1


命の供給

 テモテへの第二の手紙第3章16節は言います、「聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります」。「神の息吹かれた」という表現は、聖書、神の言が神の息であることを示します。神の語りかけは神の息吹きです。ですから、彼の言葉は霊(ヨハネ6:63)、プニューマ、息です。こうして、聖書はその霊としての神の具体化です。その霊は聖書の本質そのもの、実体です。それは燐がマッチになくてはならない物質であるようなものです。わたしたちは神聖な火を発火させるため、わたしたちの霊で聖書のその霊を「摩擦」しなければなりません。

 その霊なる神の具体化として、聖書はまたキリストの具体化でもあります。キリストは神の生ける言であり(啓19:13)、そして聖書は神の書き記された言葉です(マタイ4:4)。

 わたしたちは聖書を単に白黒の文字にしたがってだけでなく、神聖な啓示と天的知恵にしたがっても知る必要があります。わたしたちには外側に体があります、しかし内側には霊と魂を持っています。わたしたちのパースンは、おもに外側の部分の体から成っているのではなく、内側の部分、霊と魂から構成されているのです。原則は聖書についても同じです。聖書は白黒の文字の「体」だけを持っているのではなく、霊も持っています。なぜならそれは神の息吹かれたものであるからです。

 御言を読むとき、わたしたちは目、思い、霊を活用する必要があるのを示してくださったことを、主に感謝します。わたしたちは、目をもって御言の体に触れ、思いをもって御言の魂に接触し、霊の活用を通して御言を祈り、御言の霊に触れると言うことができます。そうすれば、わたしたちは聖書のある部分の意味を理解するだけではなく、神聖な息を吸い込んで命の供給を受けるのです。

 コロサイ人への手紙第3章16節でパウロは言います、「知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせ、詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、恵みの中で、心から神に向かって歌いなさい」。御言を祈ることにより、詩唱することにより、また歌うことにより、わたしたちはわたしたちの霊をかき立て燃え上がらせるでしょう。さらに、わたしたちが御言を祈り、詩唱し、歌うとき、わたしたちは神聖な息を吸い込み、神の要素をさらに一層受けます。このようにして神はご自身をわたしたちの中に分与し、彼の要素をわたしたちに注入されます。(テモテへの第二の手紙ライフスタディ、メッセージ6)


祈り

主を賛美します!キリストのからだのすべての肢体は、神の永遠の命と神聖な愛において平等です。召会の中では、わたしたちは地位向上や格差是正のための制度改正や運動をする必要はありません。なぜなら、わたしたちの間におけるあらゆる社会的地位はキリストの命によって無効にされ、そして、わたしたちの間にある愛の感覚はとても強く、優勢であるからです!


明日の主題:神は御子の中で私たちに語られた