IIペテロ3:12 神の日の到来を待ち望み、また早めればよいのでしょうか? この日のゆえに天は燃えて崩壊し、諸元素は強烈な熱で燃焼し、融解するのです。
ペテロの第二の手紙3章12節の神の日は主の日です(10節)。旧約のイスラエルの子たちにとって、主の日はエホバの日です(イザヤ2:12.ヨエル1:15.2:11,31.3:14.アモス5:18,20.オバデヤ15.ゼパニヤ1:7,14,18.2:2―3.ゼカリヤ14:1.マラキ4:1,5)。そのような「日」という用語は、おもに行政上の取り扱いの裁きを意味するのに用いられています。主が来られる前は「人の日」であって、主が来られるまでは人が裁きます(Iコリント4:3―5)。それから「主の日」が来ます。主の日は、主のパルーシア(臨在―マタイ24:3とノート3)とすべての裁きで始まり、大いなる白い御座での人々と悪鬼どもに対する裁きで終わります(啓20:11―15とノート)。
主の日は一千年を数えるまでもなく、非常に短く、おそらく七年以上ではないでしょう。これは、ダニエル書第9章24節から27節(ダニエル9:24―27)の七十週の、最後の週七年がその主要部分でしょう。(参照:IIペテロ3章12節 フットノート3)
主よ、わたしたちはあなたの到来を早める生活を持ちたいと願っています。わたしたちはあなたの約束にしたがって、義が住む、新しい天と新しい地を待ち望んでいます。ですから、その新しい天と地にふさわしい者、主の目に神と人の両方に対して、義で、正しく、問題がない者とされることを望みます。どうか、わたしたちが神聖な力により聖なる敬虔な態度を持ち、造り変えられた生活を実行できますように。主の到来の時にしみもなく傷もなく、平安の中で、あなたに見いだされる者となることができますように。