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この時代の満了とキリストの再臨


祈り

主よ、誠にあなたを仰ぎ見ます。この終わりの時代、すみやかにあなたに対して心を開くことができますように。主よ、わたしたちに語りかけ、心を奪ってください。この暗い時代にあなたを内側から輝かせる星のようにしてくださいますように。


詩歌:756


本日の聖書箇所:マタイ24:27-51


重点の節:

マタイ24:32 しかし、いちじくの木からたとえを学びなさい.その枝がすでに柔らかくなり、葉を出すようになれば、夏の近いことがわかる。


質問にお答えください


  1. 「いちじくの木・・・・の枝がすでに柔らかくなり、葉を出す」とは何を意味するのでしょうか?(参照:マタイ24章32節 フットノート2
  2. マタイ第24章43節で、なぜ主は「盗人」にたとえられるのでしょうか?(参照:マタイ24章43節 フットノート2
  3. 忠信で思慮深い奴隷はどのように仕えるべきでしょうか?(参照:マタイ24章45節 フットノート123

命の供給

 マタイによる福音書第24章40節から41節の取られるとは、大患難の前に携え上げられることを意味します。この携え上げは主の来臨のしるし、ユダヤ人へのしるしです。二人の男が畑で働いており、二人の女がうすをひいているのを見るのは非常に興味深いことです。畑で働くこともうすをひいていることも、食べるためです。わたしたちの食べることと、この世の人の食べることとの間に違いがあります。この世の人々は学び、働き、わたしたちも学び、働きます。しかしながら、この世の人は麻薬を飲まされていますが、わたしたちは麻薬を飲まされていません。むしろ、わたしたちは、生計を立てるために義務を果たしているだけです。わたしたちは食べること、飲むこと、結婚のためではありません。その反対に、わたしたちは十字架の道を取るために生存を維持して、神の定められた御旨を成就するのです。わたしたちの関心は、教育、就職、事業ではありません。

 若者たちの何人かはこれを聞いて、こう言うかもしれません、「この言葉を聞くとは何という喜びでしょう! もう勉強や仕事を顧みないようにしましょう。わたしたちのすべての時間を祈りと互いの交わりに費やしましょう」。このような態度は間違っています。40節によれば、兄弟たちは畑仕事をしており、41節によれば、姉妹たちはうすをひいていたことを覚えていてください。穀物をひくことは非常な重労働です。これは、わたしたちクリスチャンは安易な仕事に就くべきではないことを示します。わたしたちは熱心に働いて生計を立てる必要があります。38節の食べることと飲むことは世俗的ですが、40節と41節の畑仕事とうすをひくことは聖です。わたしたちは、粉ひき場でうすをひいてきめの細かい粉を作る聖なる姉妹たちを、さらに多く必要とします。わたしたちは麻薬を飲まされないで、正しく養われる必要があります。

 原則は、仕事をしている兄弟たちについても同じです。携え上げは、二人の兄弟と二人の姉妹が祈っていた時ではなく、働いていた時に起こったことに注意してください。彼らは日常の働きをしていたのです。

 主イエスは確かにはっきりした目的でこの言葉を語られました。わたしたちが彼の来臨を待ち望み、携え上げられるのを期待する時、日常の義務に極めて忠信でなければならないことを、彼は示したかったのです。わたしたちは最上の畑仕事と最上の粉ひきをする必要があります。わたしたちは、霊的な事に身をささげて他の人たちが自分を顧みてくれるのを期待する修道僧の生活ではなく、正しく均衡の取れた人の生活をする必要があります。携え上げられるのは畑で働いている兄弟たち、粉ひき場でうすをひいている姉妹たちです。(マタイによる福音書ライフスタディ、第63編)

明日の主題:信者の携え上げ