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キリストは死を通して復活される


祈り

主よ、あなたはかつて単純な神でしたが、肉体をとり、人の生活を経過し、十字架につけられ、復活し、昇天し、手順を経て究極的に完成された神となられました。どうか主よ、あなたが経た経験と、十字架の死と復活の効果を、今、わたしたちが知ることができますように!


詩歌:228


本日の聖書箇所:ヨハネ21:15-25


重点の節:

ヨハネ21:15 彼らが朝食を済ませた時、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこれら以上にわたしを愛するか?」。ペテロは彼に言った、「はい、主よ.わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの小羊を養いなさい」。


本日のフットノート抜粋


主はここで、ご自身に対するペテロの愛を回復しておられました。ペテロは主を愛する心を持っていましたが、自分の力、自分の天然の力に信頼し過ぎていました。主に対する彼の愛は尊いのですが、彼の天然の力は否まれ、対処されなければなりませんでした。主は、ペテロが徹底的に失敗して、三度もあからさまに主を否むに任せられました(ヨハネ18:172527)。それは、彼の天然の力、彼の自信が対処されるためでした。さらに、ペテロはまさしく率先して、主の召しから後退しました。彼が主を愛しているという彼の天然の自信も、この失敗によって、必ず対処されなければなりませんでした。ですから、彼はいくらか失望していたことでしょう。こういうわけで、主は来て、ご自身に対する彼の愛を回復し、ご自身の召会を牧することを彼に命じられました(参照:ヨハネ21章15節 フットノート1)。


命の供給

 キリストは復活した体をもって天へ昇られましたが、今や、ヨハネによる福音書第20章で、彼はやはり復活した体をもって弟子たちへ戻って来られます(ルカ24:37-40Iコリント15:44)。復活した体をもって、主は弟子たちのいた、「戸が閉められていた」部屋に入って来られました(ヨハネ20:19)。戸が閉められていたのに、主は骨と肉の体をもって、どのようにして入ることができたのでしょうか? わたしたちの限られた知性では、それを理解することができませんが、それは事実です。わたしたちはそれを、神聖な啓示にしたがって受け入れなければなりません。

 カーネーションの種の例を考えてみてください。カーネーションの種は小さな、丸い体を持っています。しかしそれが植えられ、地面から生長してくると、茎を持ち開花します。これも体ではないでしょうか? カーネーションの種は地の中にまかれる前、小さな体をしていました。地面から生長すると、それは異なる体を持ちました。これがまさに、パウロがコリント人への第一の手紙第15章44節で述べたことです。「魂の体でまかれ、霊の体に復活させられます」。その体は一つの形でまかれ、別の形で地面から起こされます。まかれたものは元の、天然の体であり、成長したものは復活した体です。キリストは彼の復活の後、復活した体を持たれました。しかもそれは物質のものであって、やはり触ることができました。戸は閉められていましたが、キリストはこの体で部屋の中に入られました。

 ヨハネによる福音書第20章で主が彼の手と彼の脇を見せられると、弟子たちは「主を見て歓喜した」(20節)。これは、第16章19節と22節の主の約束の成就です。その所で彼は言われました、「あなたがたにも、今は悲しみがある。しかし、わたしは再びあなたがたに会う。その時、あなたがたの心は歓喜する。そしてあなたがたの喜びを、あなたがたから奪い去る者はいない」(22節)。今や弟子たちは、新しく生まれた「子供」を見ました(21節)。彼は復活した主であり、復活の中で神の御子として生まれました(使徒13:33)。今、見るように、主が彼の弟子たちに戻って来られたことによるこの成就は、彼らに五つの祝福をもたらしました。それは、彼の臨在、彼の平安、彼の委託、聖霊、彼を代表する権威(ヨハネ20:23)です。(ヨハネによる福音書ライフスタディ、第46編)

明日の主題:地の果てまで主の証し人となる