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命の分与


祈り

主よ、あなたを礼拝します。ユニークで卓越したあなたを仰ぎ見ます。奥義の言葉をわたしたちに開き、一人一人があなたの御前にもたらされますように。またあなたを経験することを学び、あなたの分与を受けることができますように。


詩歌:723


本日の聖書箇所:ローマ10:4-21


重点の節:

ローマ10:12  ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません.同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです.

ローマ10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです。


本日のフットノート抜粋


 ローマ人への手紙第10章12節は、神がキリストにあってわたしたちを選び、贖い、義とし、聖別し、同形化し、栄光化されるのは、わたしたちがキリストにあって、彼の計り知れない豊富を享受するためであることを見せています(エペソ3:8)。これを享受する秘訣は、彼の御名を呼び求めることです。

 主の御名を呼び求めるのは、わたしたちが救われる秘訣であるだけでなく、主の豊富を享受する秘訣でもあります。人類の第三代目のエノスに始まり、新約の信者たちに至るまで、神に選ばれ、贖われた人たちは、この秘訣によって、キリストの贖い、救い、彼の豊富すべてを享受しました。(参照:ローマ10:12のフットノート113節のフットノート1


命の供給

 ローマ人への手紙第8章11節は言います、「そして、イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます」。この節の霊は復活の霊です。すでに見てきたように、わたしたちの霊は命であり(10節)、わたしたちの思いも命です(6節)。今や、わたしたちの存在の最後の項目、わたしたちの死ぬべき体に来ます。わたしたちの体は死につつあります。しかしながら、命はわたしたちの死ぬべき体にさえ与えられます。わたしたちの体は、わたしたちに内住する彼の霊を通してこの命にあずかり、この命で支えられ、この命で供給されることができます。疑いもなく、内住する霊は復活させられたキリストです(Iコリント15:45IIコリント3:17)。内住する霊としてのキリストは、絶えずわたしたちのあらゆる面に命を分け与えられます。

 これのすばらしい例証は電気です。電気が建物の中に設置されても、その流れが妨げられる可能性があります。命を与える霊であるキリストは、天の電気としてわたしたちの中に設置し込まれました。しかしながら、わたしたちの少しの部分が、彼に自由な通路を与えているだけです。わたしたちの大部分が彼に開かれておらず、むしろ彼を妨げています。例えば、あなたの感情がキリストの妨げとなっているかもしれません。ですから、キリストはあなたの感情の中にご自身を命として分け与えるのが困難です。あなたは祈る必要があります、「主よ、わたしの感情を取り扱ってください。わたしの感情を打ち砕いて、あなたがご自身を命としてその中に分け与えてくださるようにしてください」。わたしたちはこのような経験を必要とします。これを教理や教えとして受け取らないでください。これは実行に移されなければなりません。あなたはこれを実行するなら、命としてのキリストが今やあなたの中にいて、ご自身をあなたのあらゆる地域、街路へと拡大する機会を待っておられることを、見いだすでしょう。彼はあなたの隠された部分へ浸透しようと待っておられます。あなたが自分自身を彼に開くなら、彼は命としてのご自身を、あなたの死ぬべき体の中へと分け与えて、あなたを彼の命のあらゆる豊富で満たされた人とされるでしょう。

 わたしたちは言う必要があります、「ハレルヤ! わたしは肉に対する負債者ではありません。わたしはそれに対して何の負債も負っていません。わたしはそれに対して義務はありません。わたしはそれから解放され、それから自由です。わたしは肉と呼ばれる絶望的なものから完全に解き放されています。わたしはもはや、それにしたがって生きる肉に対する負債者ではありません」。(ローマ人への手紙ライフスタディ、第16編)

明日の主題:まことのぶどうの木の枝