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キリストかモーセか?


祈り

主よ、わたしたちの中で、わたしたちの心に触れてください。わたしたちの霊と思いを開いてください。知恵を持って御言葉を理解し、啓示を持って見ることができますように。


詩歌:606


本日の聖書箇所:ヘブル5:11―6:3


重点の節:

ヘブル6:1 こういうわけで、キリストの初歩的な言を後にして・・・・円熟にもたらされようではありませんか・・・・


本日のフットノート抜粋


 わたしたちが霊の命を経験する時、常に、一方では、主の行なわれることがあり、もう一方では、わたしたちが主と協力するのを追い求めることがあります。

 主はわたしたちを導きたいのですが、わたしたちは主に導いていただかなければなりません。これは、わたしたちが進んで彼の恵みの働きと協力することです。完成、円熟にもたらされるためには、キリストの達成されたものにあずかり(1:93:14)、努め励んで残されている安息日の安息に入り(4:911)、恵みの御座に進み出てあわれみを受け、恵みにあずかり(4:16)、固い食物で養われて、メルキゼデクの位によるわたしたちの大祭司としてのキリストを享受する必要があります。(参照:ヘブル6:1のフットノート3


命の供給

 わたしたちの神は表現された神、わたしたちに到達し、わたしたちに受け入れられ、経験され、日ごとにわたしたちの享受となられる神です。これがわたしたちの神です。確かに、この神はユダヤ教の神にまさっています。

 わたしたちのキリスト、神の御子は、ユダヤ教の神以上に御使いたちにまさっていることは言うまでもありません。御使いたちは、風と火の炎であって、単なる被造物ですが、御子は創造主です。被造物として、御使いたちは御子よりはるかに劣っており、創造主として、御子は御使いたちにはるかにまさっています。

 モーセは家の一部分にすぎませんでしたが、キリストは家であり、また家を建てる方です。ですからキリストは、モーセにまさって栄光と誉れに値するものとされます(ヘブル3:3)。わたしたちは、キリストが家を建てる方として、モーセにまさって栄光と誉れを得られることを見る必要があります。ですから、キリストはモーセにはるかにまさっているのです。

 アロンは死によって務めを続けることを妨げられたので、彼の生きている間だけ、誉れある大祭司として立てられました。しかし、神の子として、キリストは栄光の中で永遠に大祭司となるよう定められました(5:6)。彼には死の妨げはありません。彼は永遠にわたしたちの大祭司となる栄誉を受けておられます。

 新契約は旧契約にまさっています。それは、人の実際がその人の写真にまさっているようにです。旧契約は、写真のように、外側の形があるだけでしたが、新契約は、実際の人のように、すべての実際を伴う内なる命を持っています。

 わたしたちは、わたしたちの贖い主また救い主としてのキリストを受け入れ、彼はわたしたちの中に入って、わたしたちの命となられました。わたしたちの命として内側に受け入れたこのキリストが、メルキゼデクの位による天におけるわたしたちの大祭司です。彼の機能は罪のためのいけにえをささげることではなく、わたしたちの供給のために神の豊富を供給することです。成長して円熟に達するために、わたしたちはそのような神が供給されるキリストを享受して、神聖な要素の豊富にあずかる必要があります。

 ヘブル人への手紙は、固い食物を食べ、天のキリストを享受することによって前進して、神の豊富な要素を受け、成長して円熟に達するようにと、わたしたちを励まします。(ヘブル人への手紙ライフスタディ、第4、15、28、30、36編)

明日の主題:私たちが持っているこの望みは、安全で確固とした魂の錨である