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この世の王国ではなく天の王国である


重点の節:

マタイ14:23 彼は群衆を解散させた後、祈るためにひそかに山へ登られた。夜になっても、彼は一人そこにおられた。

マタイ14:30-31 ところが、強い風を見て、彼はおびえた.そして沈みかけたので、彼は叫んで、「主よ、わたしを救ってください!」と言った。イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた、「信仰の小さい者よ、なぜ疑ったのか?」。


詩歌:751


本日の聖書箇所:マタイ14:22-36文字サイズ大



本日のフットノート抜粋


 ペテロは主の言葉の中の信仰によって舟から降り、波の上を歩きました(29節)。しかしながら、彼が強い風を見た時、彼の信仰は消え失せました。彼は環境を見ることによってではなく(すなわち外観によってではなく)、主の言葉の中の信仰のみによって歩くべきでした。主に従って行く時、わたしたちは見えるものによってではなく、信仰によって歩くべきです(IIコリント5:7)。(参照:マタイ14章30節 フットノート1
 主がペテロに「来なさい」(29節)と言われたので、ペテロはその言葉の上に立つべきであり、疑うべきではありませんでした。ですから、主は彼を叱責されたのです。信仰は主の言葉から来て、主の言葉の上に立ちます。主の言葉がある限り、わたしたちはただ彼の言葉を信じて、疑うべきではありません。(参照:マタイ14章31節 フットノート1


命の供給

 マタイによる福音書第13章で、天の王国の外観の絵を見ます(参照、新約聖書回復訳、30ページと31ページの図表)。神の王国は永遠の過去から永遠の未来までのすべてを包括します。この二つの永遠の間に、さまざまな時代あるいは経綸に分けられた時間があります。最初は律法以前の時代です。アダムは創造された後、罪も暗やみもない園に置かれました。彼から、族長たち、父祖たちの時代があって、モーセに至ります。この族長たちの時代は律法以前の時代として知られています。次に律法の時代が来ます。これに続いて二つの重要な時代があります。その最初のものは恵みの時代、召会時代で、他のものは王国の時代、千年期です。すでに指摘したように、天の王国はこの二つの時代だけを含みます。恵みの時代には多くの複雑さがあります。なぜなら、天の王国には三つの面があるからです。それは実際の面、外観の面、実現の面です。召会が正常である限り、それは王国の実際です。正常な状態では、召会は王国の実際と等しいのです。王国の第三の面、すなわち実現は、千年王国の天の部分、より高い部分です。

 主イエスが戻って来られる時、あなたはどこにいるでしょうか? 最後まで耐え忍ぶなら、すなわち、自らを最後まで霊の中に保ち続けるなら、わたしたちは救われて天の王国の実現、千年期の天の部分にいるでしょう。そこにいる人たちはキリストと共に支配するでしょう。43節によれば、彼らは「父の王国で太陽のように輝く」とあります。その輝きは、王として統治し、支配することです。

 わたしたちは真の正常な信者、天の王国の憲法にしたがって生きる王国の真の子たちでありたいのです。わたしたちは憲法にしたがって生活をすることによってキリストを成長させます。わたしたちが成長させるものはすべて、天の王国の構成要素となるものの増殖です。ですから、今日わたしたちは実際の中にいるだけではありません。わたしたちが実際です。そして王である主イエスが再来される時、わたしたちは天の王国の実現の中にあって、世に対して輝き、キリストと共同の王として支配し、千年期の天の部分を享受するでしょう。(マタイによる福音書ライフスタディ、第37編)


祈り

主よ、あなたは御子として人の立場に立ち、一人になって、御父に祈られました。それは、御父と一つになり、天の王国の設立のために地上で行なわれるどんな事においても、御父と共にいるためでした。これは今日におけるわたしたちの必要でもあります。主よ、わたしたちはすべての人から離れ、ただ一人、あなたと接触します。今日もわたしたちがあなたと一つとなり、御父のみこころを知ることができますように。それは、天の王国の設立のために地上で行なわれるどんな事においても、主と共にいるためです。


明日の主題:主は異邦人の分け前として食卓の下のパンくずになられた