ルカ9:62 イエスは彼に言われた、「手をすきにかけてから、後ろを振り返る者は、神の王国にふさわしくない」。
ルカによる福音書第7章11節から17節で、人・救い主が泣き悲しんでいる母親に、死んだ息子を起き上がらせることによって、あわれみを示されるのを見ます。11節と12節は言います、「それから間もなく、イエスはナインと呼ばれる町に入って行かれた.弟子たちと大勢の群衆も、彼に同行した。イエスがその町の門に近づかれた時、見よ、ある母親の一人息子が死んだので、運び出されるところであった.彼女はやもめであった.その町の大勢の群衆が、彼女に付き添っていた」。この状況は非常に悲しいものであり、だれもその悲しんでいるやもめを慰めようと、何をすることもできませんでした。まず彼女は自分の夫を失い、そして今や一人息子を失ったのです。
13節から15節は言います、「主は彼女を見て、深くあわれみ、彼女に『泣くことはない』と言われた。イエスは近づいて、その棺に触られた.すると、それを運んでいる者たちは立ち止まった。そこで彼は言われた、『若者よ、わたしはあなたに言う.起きなさい』。すると、その死人は起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に渡された」。ここで、やもめに語り、棺に触ることでの人・救い主の同情を見ます。彼がその棺に触ったとき、それを運んでいる者たちは立ち止まりました。そこで主はそのやもめの死んだ息子に、起きなさいと命じられました。これは、主の人性の美徳の中に表現された神聖な属性です。
人・救い主は彼の同情の中でやもめに語り、棺に触られました。彼はこれらの事柄を行なうよう求められませんでしたが、その状況を見て、その死んだ息子を起き上がらせるという行動を取られたのです。主は彼の人性の美徳にしたがってこの行動を取り、そこにいた人たちを大いに驚かせました。何が彼を、同情をもって動かしたのでしょうか? その理由は彼の人性の美徳でした。その時、彼の人性の美徳の中で、その若者を死から起き上がらせることによって、彼の神聖な属性が現されたのです。
再び、主イエスが人性の美徳と神聖な属性で満ちておられるのを見ます。死んだ息子を起き上がらせ、彼を母親に渡すことにおいて、人・救い主の人性の美徳における神聖な属性の表現を見ます。(ルカによる福音書ライフスタディ、メッセージ16)
主よ、わたしたちはひたすら真っすぐに、神の王国へと押し進むことを願います。どうか、振り返ることなく、少しでも注意をそらすことなく、真っすぐあなたに従って行くことができますように。わたしたちは信仰の中で言います。わたしたちは、あらゆるそらすものを後にし、他のすべてのことを忘れ、苦難の代価を払ってでも、あなたの行かれる所に、どこへでも従って行きます。