ルカ13:30 見よ、後の者が先になり、先の者が後になるであろう。
「なぜなら、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからである」。イエスはまた、ご自分を招いた人にも言われた、「あなたが朝食や晩餐を設ける時、あなたの友人、兄弟、親類、裕福なな隣人を招いてはいけない.そうでないと、彼らもあなたをお返しに招いて、あなたに返礼をするであろう。宴席を設ける時は、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、盲人を招きなさい.そうすればあなたは祝福される.なぜなら、彼らはあなたにお返しをするものが何もないからである.義人の復活の時に、あなたは返礼を受けることになる」(ルカ14:11-14)。
ルカによる福音書第11章1節は言います、「さて、イエスはある所で祈っておられた.祈りが終わると、弟子の一人が彼に言った、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください』」。わたしたちは、主が何のために祈っておられたのか、わかりません。弟子たちは彼が祈っておられるのを見て、彼に祈ることを教えていただきたかったのです。そこで主は続けて言われました、「あなたがたは祈る時、こう言いなさい、『父よ、あなたの御名が聖とされますように.あなたの王国が来ますように。わたしたちの日ごとのパンを、毎日、与えてください。わたしたちが自分に負債のあるすべての者を赦したように、わたしたちの罪を赦してください。わたしたちを試みに遭わせないでください』」(2-4節)。わたしは多くの時間を費やして、この簡潔な言葉を考えてきました。わたしの結論は、このように繰り返し祈るなら、その結果はわたしたちが神の中へと祈ることになるということです。言い換えれば、この祈りの結果は、わたしたちが自分を神の中に見いだすことです。
しかしながら、その兄弟がこのように祈るとします、「父よ、あなたは義で公正です。あなたはわたしの妻が間違っていることをご存じです。わたしが正しいことを立証してください」。その兄弟がこのように祈れば祈るほど、ますます経験的に神から遠ざかるでしょう。彼は祈る必要があります、「父よ、御名が聖とされますように。あなたの王国が来ますように。父よ、今日のパンをわたしに与えてください。またわたしが妻を赦すように、わたしを赦してください。父よ、わたしを試みに遭わせないでください」。その兄弟がこのように祈れば祈るほど、ますます自分が神の中にいるのがわかるでしょう。これは、祈ることが、わたしたち自身を神の中に祈り込むことであることを説明します。
わたしたちはしばしば神から逸らされます。わたしたちは新聞の広告によってさえ、彼から逸らされ得るのです。わたしたちは容易に神から逸らされるので、毎朝、彼と共に時間を費やし、わたしたち自身を彼の中へと祈り込むべきです。自分の欠点について、こと細かく祈る必要はありません。「父よ、わたしを赦してください」と言うだけで十分です。詳細にわたる必要はありません。「父よ、わたしが他の人を赦すように、わたしを赦してください」という祈りは包括的です。あなたはこのように祈れば祈るほど、自分自身を神の中へと祈り込むことを、ますます認識するでしょう。そして、あなたは神の中で命の供給を受けるでしょう。(ルカによる福音書ライフスタディ、メッセージ27)
主よ、わたしたちは自分を神の中に見いだすことを願います。わたしたちは、あなたが教えて下さった祈りを繰り返し祈ることを通して、神の中へと祈り込みます。わたしたちは、「父よ、わたしが他の人を赦すように、わたしを赦してください」と、毎朝御前に出て祈ります。わたしたちは、朝の新鮮な時間にあなたと共に時間を費やし、わたしたち自身をあなたの中へと祈り込み、神の中で命の供給を受けます。