ルカ15:20 こうして彼は立って、父の所に帰って来た。ところが、彼がまだ遠く離れていたのに、父は彼を見て深くあわれみ、走り寄って彼の首を抱き、愛情を込めて口づけした。
ルカ15:22 しかし、父は奴隷たちに言った、「急いで、あの最上の衣を持って来て彼に着せ、手に指輪をはめ、足にサンダルをはかせなさい。
ルカ15:23 また肥えた子牛を引いて来て、ほふりなさい.食べて楽しもうではないか」。
父なる神は走って、戻って来る罪人を迎えました。何という強い切望を見せていることでしょう!
神の救いには二つの面、最上の衣で象徴される外側の客観的な面と、肥えた子牛で象徴される内側の主観的な面があります。わたしたちの義としてのキリストは、わたしたちの外側の救いです。わたしたちの享受のためのわたしたちの命としてのキリストは、わたしたちの内側の救いです。最上の衣によって、放蕩息子は彼の父の要求を満たし、彼の父を満足させることができました。そして肥えた子牛は、息子の飢えを満たしました。ですから、父も息子も一緒に楽しむことができました。 (参照:ルカ15:20ノート2、15:23ノート1)
おお、御父の切望とあわれみに何と感謝すべきでしょうか!御父は遠く離れていたわたしたちを見つけ、走り寄り首を抱き、愛情を込めて口づけされ、迎えてくださいました。また御父はわたしたちのために外側の客観的な救いと、内側の主観的な救いを用意してくださいました。キリストはわたしたちを被う外側の義の衣であり、内側の享受のためのわたしたちの命、救いです。ハレルヤ、感謝します!最上の衣によって、御父の要求は満たされ、肥えた子牛は、わたしたちの飢えを満たし、今や御父もわたしたちも共にキリストを楽しむことができます!