Iテモテ3:15 それは、もしわたしが遅れた場合、神の家の中でどのように振る舞うべきかを、あなたに知ってもらうためです.神の家とは生ける神の召会であって、真理の柱また基礎です。
召会の中に生きておられる生ける神は、召会に対して客観的でなく、主観的でなければなりません。異教の宮にある偶像には命はありません。神は生きておられます。彼は、生ける宮、召会の中で生きておられるだけでなく、活動し、行動し、働いておられます。彼が生きておられるので、召会も彼の中で、彼によって、彼と共に生きています。
3章15節の真理は、神の新約エコノミーにしたがい、新約に啓示されているキリストと召会に関する実際の事柄を指します。召会は、これらすべての実際を支える柱であり、固く保つ基礎です。(参照:Iテモテ3章15節 フットノート3、ノート5)
主よ、あなたは召会を家とし、召会の中に生きておられる生ける神です。そして召会は生ける神の召会であり、生ける宮です。あなたが召会の中で生き、活動し、行動し、働いておられるゆえに、召会もあなたの中で、あなたによって、あなたと共に生きます!どうかわたしたち召会を、この様なキリストと召会に関する実際の事柄、すなわち真理を支える柱、また固く保つ基礎として、肉体における神の現れとしてくださいますように。