聖書の御言と通読手引の無料配信サービス【eRSG】

クリスチャンとして苦しみを受ければ、恥じることはない


重点の節:

Iペテロ4:16 しかし、クリスチャンとしてであるなら、恥じることはありません.むしろ、この名において神に栄光を帰すべきです。


詩歌:68


本日の聖書箇所:Iペテロ4:15―5:4文字サイズ大



本日のフットノート抜粋


 クリスチャンのギリシャ語はクリスチアノス(christi―anos)で、ラテン語からの造語です。語尾のイアノス(ianos)は、ある人に追従する者を示し、ローマ帝国の大家族に属している奴隷に適用されました。皇帝カイザル(Kaisar)を礼拝した者たちは、カイザリアノス(Kaisari―anos)と呼ばれました。それはカイザルの追従者、カイザルに属する人たちを意味します。

 今日「クリスチャン」という用語は、積極的な意義を帯びているはずです。すなわち、キリストの人、キリストと一つである者、キリストに属しているだけでなく、彼との有機的結合の中で彼の命と性質を持っており、日常生活の中で彼によって生きており、さらに彼を生きてさえいる者です。わたしたちは、そのような人であることで苦しみを受けるとしたら、恥と感じるべきではありません。むしろ、わたしたちの告白の中で、わたしたちの聖なる卓越した生活態度によって、大胆にキリストを大きく表現し、この名において神に栄光を帰す(表現する)べきです。(参照:Iペテロ4章16節 フットノート1


祈り

主よ、わたしたちはクリスチャンとして苦しみを受けることを恥としません。むしろわたしたちは、キリストの人、キリストと一つである者、キリストに属しているだけでなく、あなたとの有機的結合の中であなたの命と性質を持っており、日常生活の中であなたによって生きており、さらにあなたを生きてさえいる者です。わたしたちは大胆にあなたを大きく表現し、あなたの名において神に栄光を帰します!


明日の主題:クリスチャンの生活と苦しみ