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お互いに愛し合う


重点の節:

ユダ20節 しかし、愛する者たちよ、あなたがたは最も聖い信仰の上に自らを建て上げ、聖霊の中で祈りなさい.

ユダ21節 自分自身を神の愛の中に保ち、永遠の命へと至らせるわたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。


詩歌:600


本日の聖書箇所:ユダ11-25節文字サイズ大



本日のフットノート抜粋


 わたしたちが把握している信仰の真理と、わたしたちの祈りを通して享受する聖霊は、わたしたちが建て上げられるために必要です。

 わたしたちは聖い信仰の上に自らを建て上げ、また聖霊の中で祈ることによって、自分自身を神の中に保つべきです。こうしてわたしたちは、この時代に永遠の命を享受するだけでなく、それを永遠にわたって相続するようにと、わたしたちの主のあわれみを待ち望み、期待します。(参照:ユダ20節のフットノート221節のフットノート1


命の供給

 愛は神の性質の本質です。わたしたちが彼をわたしたちの神聖な命として持つ時、わたしたちは愛であるこの命の性質を持ちます、わたしたちクリスチャン、神の子供たちは、すべての人またすべての事に対して義しく生きることを切望し、また他の人たちを愛することを切望する命を持っています。わたしたちはわたしたちの内側にある神聖な性質のゆえに、そのような切望を持っています。

 ヨハネの第一の手紙第3章16節でヨハネは、キリストは彼の神聖な命、彼のゾーエの命ではなく、彼の魂の命、彼のプシュケの命を、わたしたちのために捨てられたと言っています。キリストがわたしたちのために彼の魂を捨てることは、彼がわたしたちのためにその人の命を捨てられたことを意味します。今やわたしたちは兄弟たちのためにわたしたちの命を捨てるべきです。これは必要があれば、わたしたちは彼らのために死ぬべきであることを意味します。わたしたちは内側に他の人たちのために死ぬことを切望し、また彼らのために死ぬことができるような愛する命を持っているのです。わたしたちの内側の神聖な命ゾーエは、他の人たちを愛することを切望し、必要があれば彼らのために死にさえするのです。わたしたちは神聖な命を持っていますから、これを行なうことができるのです。

 17節の「世の富」とは、物質的な事柄、生活上欠くことのできないもののことを言っています。18節では、行為は言葉と対比し、真実は舌と対比します。舌はむなしい言葉の遊びを示します。真実は愛の実際を示します。真実は誠実を示し、行為が言葉と対比するように、それは舌と対比します。ここの真実は、神聖な美徳としての神の純粋、誠実が神聖な実際の流れ出として人の美徳となるのを示します。こういうわけで、この節の真実はわたしたちの美徳となる神の実際です。

 ヨハネは、わたしたちが単に言葉や舌で兄弟たちを愛すべきではなく、単にわたしたちは彼らを愛すると、聖徒たちに告げるだけであってはならないと言っています。これは真実の中の愛、実際の中の愛ではありません。真実または実際の中で聖徒たちを愛することは、何か正直な、忠信な、誠実な、また実際であるもの、わたしたちの美徳となる神聖な実際の中で彼らを愛することを意味します。わたしたちはこのようにして兄弟たちを愛すべきです。もちろん真実の中のこの種の愛は、必要があれば、物質的なものや金銭をもって窮乏の聖徒たちに供給する愛を含んでいます。わたしたちはむなしい言葉で兄弟たちを愛すべきではありません。わたしたちは真実の中で、またわたしたちの富をもってでも、彼らを愛すべきです。(ヨハネの第一の手紙ライフスタディ、メッセージ27、28)


祈り

主よ、わたしたちが建て上げられるためには、信仰の真理と、わたしたちの祈りを通して享受する聖霊が必要です。どうか、わたしたちを聖霊の中の祈りによって、神の愛の中に保ってください。愛は神の性質の本質であり、神を命として持つとき、その命の性質として愛を持ちます。この命は他の人たちを愛することを切望する命です。どうか、この愛をもって真実の中で、わたしたちが互いに愛し合うことができますように。


明日の主題:神の御座の前の七つの霊