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召会の歴史


重点の節:

啓7:9 これらの事の後、見ていると、見よ、あらゆる国民と、すべての部族、民族、言語の中から、だれも数えることのできない大群衆が、白い衣服をまとい、しゅろの枝を手にして、御座と小羊の前に立っていた。


詩歌:773


本日の聖書箇所:啓7:1-17文字サイズ大



質問にお答えください


  1. 「大群衆が……御座と小羊の前に立っていた」は何を示しているのでしょうか?(参照:啓7:9のフットノート1フットノート2
  2. 「しゅろの枝」は何を表徴するのでしょうか?(参照:啓7:9のフットノート4
  3. 「小羊」はどのようにわたしたちを牧養するのでしょうか?(参照:啓7:17のフットノート1フットノート2

命の供給

 啓示録第2章第3章の七つの書簡は、これらが書かれた当時の七つの召会に、実際にあった状態の記録です。しかし、この書は予言的性質を持つしるしの書ですから、七つの召会の状態もしるしです。これは、七つの時期における召会の進展を、予言的に表徴しています。それは、初期の段階の終わりごろの召会、迫害の下にある召会、この世と結婚した召会、背教の召会、改革の召会、回復の召会、後退した召会です。

 第3章8節に、ヒラデルヒヤに在る召会の状態を見ます。まず、この召会は「少しばかりの力」がありました。主を喜ばせるのは、わたしたちが強いことではなく、その少しばかりの力を使って成し得る最善を尽くすことです。

 ヒラデルヒヤの一つの際立った特徴は、主の言葉を守ったことです。歴史によれば、ヒラデルヒヤに在る召会ほど厳格に主の言葉を守ったクリスチャンはほかにありません。同じように、彼の恵みによって、わたしたちは今日、彼の言葉を守っています。

 回復の召会は、主の言葉に全面的に戻っただけでなく、主イエス・キリストの御名以外のすべての名を放棄しました。回復の召会は絶対的に主に属し、いかなる宗派(いかなる名)とも関係がありません。清純な処女として、キリストに婚約した召会(IIコリント11:2)は、夫の名以外のどんな名も持つべきではありません。

 啓示録第3章8節で主は言われました、「見よ、わたしはあなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた」。ダビデのかぎを持つ者、開けばだれも閉じることのない者として、主は回復の召会に、「だれも閉じることのできない」開いている門を与えられました。正当な召会生活の回復が十九世紀の初期に始まって以来、今日まで、門は常に主の回復に対して広く開かれてきました。組織のキリスト教が門を閉じようとすればするほど、それはますます広く開かれます。多くの反対にもかかわらず、門は今日、世界的に開かれています。かぎは召会のかしらの手の中にあります。それは反対者たちの手にはありません。ハレルヤ、わたしたちには開かれた門があります!

 疑いもなく、回復の召会だけが、神の永遠の目的を成就することができます。回復の召会だけが、主の求めておられるものです。わたしたちは、主の選択されるものを選ばなければなりません。(啓示録ライフスタディ、第10、15-16編)


祈り

主よ、わたしたちは勝利者となることを願います!わたしたちは大患難が来る前に携え上げられ、御座と小羊の前に立つことを願います!わたしたちはわたしたちの霊から始まった小羊の血による洗い、すなわち贖いのみわざが魂、体を経て行為におよび、ついには白い衣服として完成し、純潔であり、神に良しとされるに至ることを願います!わたしたちは、わたしたちが主のために受けてきた患難に対するわたしたちの勝利を、永遠の仮庵の祭りにおいて享受し、満足し、喜ぶことを願います!


明日の主題:すべての聖徒の祈り