IIコリント13:14 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。
主の恵みは、わたしたちの享受のための、わたしたちの命としての主ご自身です(ヨハネ1:17とフットノート1.Iコリント15:10とフットノート1)。神の愛は、主の恵みの源としての神ご自身です。聖霊の交わりは、わたしたちがあずかるための、神の愛を伴う主の恵みの伝達としての聖霊ご自身です。これらは三つの別々のものではなく、一つのものの三つの面です。それは、主、神、聖霊が三つの別々の神ではなく、「一つの同じ、分けられてもいなければ、分けることもできない神の三つの実質」であるのと同じです。父、子、霊は、支える実質であり、ひとりの神格を構成します。(参照:IIコリント13:14のフットノート1、第1段落)
コリント人への第二の手紙第13章14節には三重の祝福があります。「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように」。この三重の祝福には三一の神があります。なぜならここには、御子キリストの恵みと、父なる神の愛と、聖霊の交わりがあるからです。
神の愛、キリストの恵み、聖霊の交わりについて語ることは、実は、愛は神であり、恵みはキリストであり、交わりは聖霊であると言うことです。ですから、愛としての父なる神があり、恵みとしての子なる神があり、交わりとしての霊なる神があります。これは、わたしたちには、直接的なわたしたちの享受としての三一の神があることを意味します。わたしたちにあるのは単に彼からの、あるいは彼による祝福ではありません。
新約において、真の祝福は三一の神ご自身です。すでに指摘したように、この祝福は三重で、恵みと、愛と、交わりの祝福です。源としての愛、経路としての恵み、伝達としての交わりをもって、三一の神はわたしたちに届いて、わたしたちの命、命の供給、享受となられます。今や実際的に、わたしたちは一日中、三一の神を享受することができます。これはわたしたちの唯一の新約の祝福です。
復活の後、キリストは弟子たちに、すべての国民を弟子として、彼らを父、子、聖霊の名の中へとバプテスマするように命じられました(マタイ28:19)。彼は、信じる者たちを三一の神の中へと、すなわち、肉体と成ること、人の生活、十字架を経過し、復活の中へ入り、手順を経た神との有機的結合へともたらすよう、弟子たちに命じられたのです。このような有機的結合に基づいて、使徒はコリント人への神聖な手紙の結びで、祝福された三一をもって彼らを祝福しました。それは、その霊の交わりを通して、御父の愛を伴う御子の恵みにあずからせることです。
こういうわけで、創世記から啓示録で、聖なる御言にある神格の三一の神聖な啓示は、神学の研究のためではないことが明らかにされます。この啓示は、神が奥義的な、すばらしい三一の中で、どのようにご自身を選びの民の中へと分与されるかを認識するためにあります。三一が分与されることによって、神に選ばれ贖われた民であるわたしたちは、コリントの信者たちに対する使徒の祝福の中で示されているように、現在から永遠に至るまで、手順を経た神にあずかり、経験し、享受し、所有するのです。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ、第59編)
三一の神の三重の祝福ゆえにハレルヤ!主の恵みは命としての主ご自身であり、神の愛は恵みの源としての神ご自身であり、聖霊の交わりは愛を伴う恵みの伝達としての聖霊ご自身です。源としての愛、経路としての恵み、伝達としての交わりをもって、三一の神がわたしたちに届き、わたしたちの命、命の供給、享受となられることを感謝します!アーメン!